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5/10(月) 出産当日

朝8:40過ぎに女房から着信。何事かと折り返し電話するも出ず,暫く待っていると再び掛かってきて破水した,出血もあり今救急車で病院に向かうとのこと。サイレンの音が背後から聞こえる。予定日は6/18であり切迫早産の診断は下っていたが自宅安静であって入院ではなかったし,金曜日(5/7)の診断時には特にそんな兆候もなくあと2週間ぐらいは居て欲しいねぇと喋ってから昨夜つくばに戻ってきたばかりなのでとても驚く。

後から聞くと出血がある場合は胎盤の早期剥離の危険があるそうで,破水に血も混じった女房は,朝の混んだ時間帯でも本来タクシーの入院も救急車が使えて速やかに行けて良かった様だ。

はらはらしながら連絡を待つが,10:34に分娩に繋がる可能性大とのCメール。なんとかあと2週間ぐらいお腹の中にいれたまま居れないのかなと思うが,感染の危険とかあって破水後24時間以内に分娩しないとあかんらしい。陣痛促進剤を使うと聞いていたけど結果的には使わずに陣痛が始まったそうな。

以後女房とは連絡が取れず付き添いのお義母さんとのやりとりになる。
俺は仕事の段取りを付けて2時半前に職場を出て3時前(14:55発)の快速に飛び乗る。いい接続だ。駅前の電光表示には15:00の区快の表示しか出てなかったのでギリギリ逃すとこだったけど間に合った。

一旦生駒の家へ寄って入院の荷物を持って病院へ向かう予定が近所に住む義理の叔母がクルマを出してくれたそうで新大阪から病院へ直行することに。
新幹線は15:50N700系には間に合わず次のN700系の16:10にしようか迷うがこの10分で明暗分けると流石に洒落では済まないので700系の16:00に乗る。

16:16の義母からのCメールではお腹は張るけどまだまだのようです,との事。
携帯の充電をしたいので自由席を物色するとコンセントのある端席が空いていたので確保♪移動する。途中の景色も上の空である。蒲郡のR23と大垣の東海環状道の建設が意外に進んでいるのは記憶に残っている。
18:16の義母からの連絡では陣痛の間隔が短くなったので分娩室1に移動したとのこと。

18:36に新大阪着。200円けちってIC-EXで来たが新大阪→鶴橋がJRで210円掛かるのが抵抗感あって270円掛けて大市交で行く。ちょっとちぐはぐだが大阪の乗換となんかいつも待たされる印象の環状線を嫌った選択。スルッと関西に拠ると19:07に谷九の改札口を出ている。

病院には7時15分過ぎ(20分前)位に着。
既に女房は分娩室で横になっており,時折痛がっている。腹には計測器が付けられていて,陣痛が来ると数値が上がるようになっている。これでどの位で産まれるか測るらしい。また赤ちゃんの心音も測るセンサも付いている。これによって分娩室に赤ちゃんの心音が響いている。
ただこの二つ邪魔だと途中で外したりしてた。
分娩台の横には団扇やテニスボールが置いてある。この前一緒に見たテレビで放映された映画でテニスボールが痛みを逃がすみたいにやってたのでテニスボールやなと指摘して女房が笑う。

陣痛が来て痛がると女房の背中をさすってやる。生理痛の酷い奴の様な感覚との事。
暫くすると青服の助産師さんが手本を見せてくれる。さするよりも指圧している様だ。
代わって俺が指圧をする。背中の腰の上ぐらいを押して欲しい様だ。

途中で向きを変えたりして痛む度にさすってやる。

暫くするとすっと痛みが引く。ずっと痛い訳ではなくその間は平常の様だ。お産ってのはずっと痛い訳ではないから耐えられるんですよ,と義母が穏やかに言う。

白服の看護婦さんが青服の助産師さんにお産の用意はしたのかと厳しく確認している。看護師兼助産師の様である。女の世界は結構上下関係が厳しいみたいだとここでも思う。まあどこの世界も上下関係は厳しいと云えば厳しいのでこれは偏見か。

その内陣痛も酷くなって女房の痛がり方も酷くなる。無痛分娩出来ないんですかぁと叫んだり妙に理屈っぽいのも我が女房の性質(たち)っぽい。

主治医の先生から挨拶があり,当直の先生の紹介と更に小児科医の先生の紹介もある。皆若い先生であるが当直の先生は男,小児科医の先生は美人である。

いたいよぉと痛みを訴える声も大きくなり,その内,頭がぼーっとすると発作の様な症状まで訴え始めて先生を困らせる。先生ものらりくらりとかわしている。母も大丈夫よと励ます。」
いよいよ本格的になって助産師さんが未だ主治医の先生が帰らずに残っていはるので,と呼びに行き小走りに走ってきて,助産師さんや看護師さん小児科医の先生などが結集,処置をするので出てってくれと云われる。

廊下で待つ。分娩室は英語でdelivery roomと云うらしく,英語の感覚が今一解らない。コウノトリが赤ちゃんを運んでくるイメージか??この話しを義母としたのは産まれた後で廊下で待ってる時だったかもしれぬ。

暫く待ってると相変わらず中からは痛みを訴える声が聞こえてくるがなにやら処置されて居る様子。
おれだけ呼ばれて部屋に入ると既に臨戦態勢っぽく,股を開いて,分娩台もさっきより上げられており,太腿には血というかなんかがついている。
女房の股の前には青服の助産師さんが付き,その左後ろには主治医の先生が腕組みして立っており,俺は女房の左肩付近に着く。右肩付近には美人の小児科の先生がついて励ましている。更に助産師さんや看護師さんなどがわらわらと居て,当直の先生も後ろの方で控えていて総勢7,8人の頼もしい陣容である。結婚式とかで主役になるのが大好きな女であるけど此処でも主役でありそういうのに平気な或る種の図々しさは相通じるものがあるのかね,と思う。

それは兎も角,お産はいよいよ佳境にはいり,助産師さんが褒めたり大声を出して励ましたり息を吸って吐いての指示を出したりして行く。
汗をかくので黄緑のタオルで拭いてやる。更には団扇で仰ぐ。そうか,この為か。テニスボールは結局使わなかった。
男と女の機能はかくも違い,性役割の差違,もっと云えば不均等さをしみじみと思わされる。

女房は助産師さんの掛け声でいきむ。主治医の先生ももっと一遍に長くとアドバイス。
青服の助産師さんが正面で取り上げる役目。女房の膣を拡げている?

いよいよ頭が見えてきたとの声が。それでもなかなか出ない。
息を使い果たすとまた休みまた吸っていきむ。未だか未だかと一緒に励まし,(意味無いけど)一緒に息吸い込んで応援するもそんなに簡単には出ない。
助産士さんの励ましの言葉によると今一番狭いところを通っているそうな。

遂に頭が出始めて助産師さんが引っ張り出す。9:41。
凄い小さい赤い赤ちゃんが出てきて小児科医の先生が処置台の上に運び,助手(看護師?)が体に付いた白い粘液のような物を拭き取り先生が処置を始める。
赤ちゃんはちょっと泣き声をあげるも元気には泣かず,先生が管で羊水を取り出したりする。赤ちゃんは脚をくねくね動かしたりしているのでああ生きているのだ,と思う。あの子が半年一緒に女房のお腹の中で育っていて我々の呼びかけ問いかけに元気に蹴り返して答えていたのだ。
女房を見て頑張ったねと声を掛け,思わず涙が溢れる。
女房は,赤ちゃんは大丈夫?と訊く。あんなに痛がっていたのに今は平気の様で不思議なものである。
赤ちゃんは良くあるように元気に泣き出しはせず,あんま泣かないので不安ではあったが,ちょっと泣いてたし大丈夫だよと声を掛ける。
不安で仕方がないが,スタッフの動きもそれ程緊急そうではないので祈るような気持ちで処置を見つめる。
女房の後処置があるので暫くすると外に出される。

ずっと外で待っていた義母と話しながら待つ。
暫くすると廊下に置いてあった保育器が中に運ばれ,あかちゃんが新生児室に運ばれてゆく。目をつぶって片手を保育器の壁に付けている。頑張れよ。

更に暫くすると中に呼ばれる。さっき迄戦場だったのに落ち着いた物である。元の様子に戻っている。女房と義母でしばし喋る。12時前に此処を明け渡して大部屋に戻らねばならない様だ。
赤ちゃんに関しては後から小児科医の先生からの説明がありますよというので待つ。
なかなか小児科医の先生が戻ってこないので,心配であるが,義母は色々調べることがあるのよと平然としている。流石である。

12時も30分程廻ってからかやっと小児科の先生(マスクで解らないが美人っぽい)とその隣にちょっと困った様な顔した小児科の先生(やっぱり若くて綺麗)が坐って逐一解説してくれる。
こんな遅く迄仕事し更に家族への説明までこなさねば成らず大変である。美人の先生は解りやすく且つ的確に必要なポイントと其れに対する病院の対処を説明してくれる。非常に明確で解りやすい。
今のところ問題はないし,女房の持病や高齢で心配があった心臓や染色体異常も今のところ大丈夫なんではないかという答えで一安心である。

夜中になっているので守衛室でタクシーを廻して貰い義母と帰途に就く。興奮冷められぬ感じで通い慣れた阪神高速・第二阪奈道路を見慣れぬ真夜中の帰路である。
安産であってとても良かった。心に残る一日であった。
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